朝鮮通信使復元船、鞆の浦に来航!(夜の部)

朝鮮通信使復元船のライトアップがあるというので夜も撮影に出かけました。
事前のイメージでは、港に浮かぶ復元船を狙いたいと思っていましたが、照明は暗めで復元船が小さく見えるので近くから撮ることにしました。
ライトが点灯するまでは東側から撮り、ライトアップされてからはライトが当たる西側から撮影しました。
南の空に月があったので月を入れてみましたが、あまりアクセントになっていないですね。満月なら少し違ったかもしれません。
復元船は、9日朝、次の寄港地である牛窓に向け、出港しました。
復路は、5月19日(月)に入港、20日(火)に出港予定です。

【関連行事】
◎コーナー展「朝鮮通信使と鞆の浦」(福山市鞆の浦歴史民俗資料館)
・日時 3月27日(木曜日)~5月25日(日曜日) 9:00~17:00
※月曜日:休館

朝鮮通信使復元船、鞆の浦に来航!(昼の部)

5月7日(月)、鞆の浦に朝鮮通信使復元船が来航した。
大阪・関西万博の「韓国ナショナルデー」に合わせて、4月28日プサンを出港し、鞆の浦にやって来た。
江戸時代の朝鮮通信使は、徳川家の将軍が替わるごとに派遣された外交使節団で、12回(1607年~1811年)来日している。そのうち鞆の浦には11回寄港している。
総勢約500人の使節団は、対馬藩や寄港地の藩の船団とともに約1000隻の大船団で瀬戸内海を大阪まで行き、そこから御座船で淀川を遡り京都へ、その先江戸までは陸路をとった。
使節の派遣を通じて、日朝両国が対等な関係で友好交流を進め、約200年間平和を維持してきたのだ。
今回、鞆の浦に寄港したのは、朝鮮通信使ゆかり地だからだ。
復元船は、滅多に寄港することはないので5月8日(火)昼と夜に撮影に行った。
まずは、昼の部から。

2015平和メモリアル 最終回

2015平和メモリアルの最終回は,原爆死没者慰霊碑です。
世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を,平和都市として再建することを念願して1952年に設立されました。
碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。
主語は何かと様々な議論がありましたが,説明板には「全ての人々が原爆犠牲者の冥福を祈り,戦争という過ちをくり返させないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え,憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い,真の世界平和を実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記されています。
丹下健三のデザインで,原爆ドーム原爆死没者慰霊碑原爆記念資料館は一直線に並んでいます。

 

20150804_2260[1]

 

20150804_2258[1]