最終章は,勝林院です。
勝林院は,三千院と宝泉院のあいだにあり,1013年に創建された天台宗の寺院です。
当日は,雪が降ったり止んだりで,この時は吹雪状態でした。
先日12月29日,NHKテレビの「歴史発掘ミステリー」で勝林院が紹介され,「蔵」にある仏像,絵画,古文書など1800点あまりを15名の専門家が調査,その中から足利義満の肖像画や浅井長政の領地の安堵状などが発見されました。
足利義満(室町幕府第3代将軍)は,1406年,天皇家の法事が宮中で行われた際,僧侶4人を伴い,武士として初めて「声明」を唱えました。
戦国時代,京都大原~比叡山一帯は地政上に重要な地で,反信長勢力の浅井長政が出した領地の安堵状はどのような意味があったのでしょうか。
織田信長は,1568年,足利義昭を奉じて上洛しますが,1570年には「反信長包囲網(浅井長政,朝倉義景,延暦寺,石山本願寺など)が結成されます。
京都を包囲される形で,信長は窮地に立たされていたものと思われます。浅井長政は北近江の戦国大名ですから大原~比叡山一帯は両者のせめぎ合いの地であったということでしょうか。
※補足:石山本願寺について
石山本願寺は,信長に矢銭(戦費)や寺の明け渡しを要求されたため,一向宗の門徒とともに10年にわたって信長に抵抗したが,1580年に降伏。寺を退去直後,堂舎や寺内町は灰燼に帰す。その後,豊臣秀吉が寺の跡地に大坂城を築いたため,石山本願寺は現存しない。