東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)③

“東洋のマチュピチュ”と呼ばれている,東平ゾーンの代表的遺構の貯鉱庫跡索道基地跡です。
採掘された銅鉱石は貯鉱庫に一時的に貯蔵され,索道を使って端出場まで運ばれました。

 








【旧インクライン】
端出場から索道で東平に運ばれてきた生活物資は,インクライン(傾斜面に線路を敷設)を利用して荷揚げされました。
現在は220段の階段に代わっています(下の写真)。

 


蒜山三座&大山と星空

満月前夜の月が昇っている中での星景写真にチャレンジ!
月明かりで蒜山三座大山の稜線がくっきり写るのではないかということで1時間ほど撮影しました。
ただ稜線の上にずっと雲がかかっていたのが残念です。
左端の山が大山です。
北天を代表する北斗七星カシオペア座がのぼっています。

 

《撮影データ》
2018,8.25
X-E1+12mm F2→2.8 ISO800 WB:4500k 15秒×228コマの比較明コンポジット

 

東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)②

“東洋のマチュピチュ”(旧別子銅山の東平ゾーン)の第2回目です。
別子銅山は,江戸時代に山頂付近(標高1200m)から採掘が始まり,次第に山の中深く掘り進み,閉鉱(1973年)直前には海面下1000mまで達しました。

 


明治時代,採掘された銅鉱石は,上部鉱山鉄道(赤線)~索道(ロープウェイ)を使って端出場(マイントピア別子付近)まで運ばれました。
蒸気機関車は,松山の坊ちゃん列車の機関車と同型です。

 


索道に使われたブラケット。ロープにぶら下げ,銅鉱石を搬出した。