3月10日,鞆公民館で「朝鮮通信使」に関する史料がユネスコの記憶遺産に登録されたのを記念して講演が行われました。
岡山大学の倉地克直先生が,朝鮮通信使,登録された史料,登録に至る経緯,登録の意義などについて話されました。
登録された史料は,日韓合わせて111件・333点(うち日本は,48件209点)で,鞆では福禅寺対潮楼所蔵の関係史料14作品が登録されました。
鞆公民館での講演後,場所を対潮楼に移し,広島大学の佐藤大志先生が,「朝鮮通信使の漢詩~朗読と解説」と題し,講演されました。
中国人,韓国人留学生の朗読があり,興味深く聞き入りました。中国語でも韓国語でも響きがほぼ同じなのには驚きでした。
対潮楼には,通信使行列を復元した模型が展示されていました。
朝鮮通信使は,江戸時代1607年~1812年まで12回,朝鮮から日本に送られた友好親善使節で,鞆には11回立ち寄っています。
漢城(現在のソウル)出発し,釜山を経由して対馬・壱岐を経て,瀬戸内海を通り,淀川を川船で遡って京都から陸路江戸まで行きました。
広島県では,蒲刈と鞆,岡山県では牛窓に立ち寄り,往復で8~10か月を要しました。
一行は約500人,中心は三使(正使・副使・従事官)で,鞆では福山藩が対潮楼で接待し,文化交流も行われました。
対潮楼にある「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番すばらしい景勝地という意味)という扁額の元の題字は,従事官の李邦彦(リ・バンオン)が書いたものです。
李邦彦が書いた「日東第一形勝」の題字は,記憶遺産に登録された史料の1つです。