Category: 鉱山遺跡

旧別子銅山・端出場エリア~別子銅山記念館

8月 28th, 2018 Permalink

別子銅山・端出場地区は,1930(昭和5)年~1973(昭和48)年まで採鉱本部があり,現在は「マイトピア別子」として銅山のテーマパークとなっています。 東平地区で採掘された銅鉱石は端出場地区に集められ,下部鉄道を利用し […]

別子銅山・端出場地区は,1930(昭和5)年~1973(昭和48)年まで採鉱本部があり,現在は「マイトピア別子」として銅山のテーマパークとなっています。
東平地区で採掘された銅鉱石は端出場地区に集められ,下部鉄道を利用して運び出されました。
現在,端出場地区には第四通洞(銅鉱石や機械などを運搬したトンネル)や旧水力発電所(下の写真)などが残されています。
発電所は,1912(明治45)年に建設され,発電機はドイツ製でした。

 



【別子銅山記念館】
端出場地区から少し下ったところに別子銅山記念館があります。
記念館に隣接する大山積(おおやまづみ)神社の境内には,上部及び下部鉄道で使用された蒸気機関車や電気機関車が展示してあります。
下部鉄道は,端出場地区から新居浜港までを繋ぎ,貨車で運ばれた銅鉱石は港から船で沖合の四坂島に運ばれ精錬されました。

 



最初は,上部鉄道に導入されましたが,のち下部鉄道で1956(昭和31)年まで使用されました。

 

下部鉄道に1954(昭和29)年に導入された電気機関車ED104号。

東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)③

8月 27th, 2018 Permalink

“東洋のマチュピチュ”と呼ばれている,東平ゾーンの代表的遺構の貯鉱庫跡と索道基地跡です。 採掘された銅鉱石は貯鉱庫に一時的に貯蔵され,索道を使って端出場まで運ばれました。   【旧インクライン】 端出場から索道 […]

“東洋のマチュピチュ”と呼ばれている,東平ゾーンの代表的遺構の貯鉱庫跡索道基地跡です。
採掘された銅鉱石は貯鉱庫に一時的に貯蔵され,索道を使って端出場まで運ばれました。

 








【旧インクライン】
端出場から索道で東平に運ばれてきた生活物資は,インクライン(傾斜面に線路を敷設)を利用して荷揚げされました。
現在は220段の階段に代わっています(下の写真)。

 


東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)②

8月 23rd, 2018 Permalink

“東洋のマチュピチュ”(旧別子銅山の東平ゾーン)の第2回目です。 別子銅山は,江戸時代に山頂付近(標高1200m)から採掘が始まり,次第に山の中深く掘り進み,閉鉱(1973年)直前には海面下1000mまで達しました。 & […]

“東洋のマチュピチュ”(旧別子銅山の東平ゾーン)の第2回目です。
別子銅山は,江戸時代に山頂付近(標高1200m)から採掘が始まり,次第に山の中深く掘り進み,閉鉱(1973年)直前には海面下1000mまで達しました。

 


明治時代,採掘された銅鉱石は,上部鉱山鉄道(赤線)~索道(ロープウェイ)を使って端出場(マイントピア別子付近)まで運ばれました。
蒸気機関車は,松山の坊ちゃん列車の機関車と同型です。

 


索道に使われたブラケット。ロープにぶら下げ,銅鉱石を搬出した。

東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)①

8月 19th, 2018 Permalink

“東洋のマチュピチュ”と呼ばれている旧別子銅山の東平(とうなる)ゾーンへ行ってきました。 標高が750mあり,1916(大正5)年から1930(昭和5年)まで採鉱本部が置かれ,社宅や学校・病院・娯楽場などもあり,最盛期に […]

“東洋のマチュピチュ”と呼ばれている旧別子銅山の東平(とうなる)ゾーンへ行ってきました。
標高が750mあり,1916(大正5)年から1930(昭和5年)まで採鉱本部が置かれ,社宅や学校・病院・娯楽場などもあり,最盛期には約4000人の銅山関係者らが住んでいました。
現在は銅山や生活関連施設の遺構が一部残されています。

自家用車でも来れますが,道幅は狭く,行きにくい場所ですし,「マイントピア別子」(愛媛県新居浜市・端出場ゾーン)からガイド付の観光バスが出ているのでこれを利用しました。
東平まではバスで25分かかります。
まずは,選鉱場貯鉱庫あとです。