ナイトフォト~梨園防蛾灯②(世羅)

9月 19th, 2018 Permalink

長い坂道の途中に信号が設置されたので,峠のてっぺんまで車を追いかけると露光時間が長くなり,ノイズが増してしまいます。 画像処理を試みましたが,思うような絵になりません。 防蛾灯は今月いっぱいは点灯されるようです。 &nb […]

長い坂道の途中に信号が設置されたので,峠のてっぺんまで車を追いかけると露光時間が長くなり,ノイズが増してしまいます。
画像処理を試みましたが,思うような絵になりません。
防蛾灯は今月いっぱいは点灯されるようです。

 

ナイトフォト~梨園防蛾灯①(世羅)

9月 17th, 2018 Permalink

久々の撮影行です。 世羅の梨園の防蛾灯が点灯中ということで行ってみました。 まず,直売所で梨を買って撮影ポイントへ。 にわか雨が降り,雨後なのでもやっています。 56秒の一発撮りです。   《撮影データ》 20 […]

久々の撮影行です。
世羅の梨園の防蛾灯が点灯中ということで行ってみました。
まず,直売所で梨を買って撮影ポイントへ。
にわか雨が降り,雨後なのでもやっています。
56秒の一発撮りです。

 


《撮影データ》
2018,9.16
D800+28-70mm(70mm) F2.8→F11 ISO100 56秒

旧別子銅山・端出場エリア~別子銅山記念館

8月 28th, 2018 Permalink

別子銅山・端出場地区は,1930(昭和5)年~1973(昭和48)年まで採鉱本部があり,現在は「マイトピア別子」として銅山のテーマパークとなっています。 東平地区で採掘された銅鉱石は端出場地区に集められ,下部鉄道を利用し […]

別子銅山・端出場地区は,1930(昭和5)年~1973(昭和48)年まで採鉱本部があり,現在は「マイトピア別子」として銅山のテーマパークとなっています。
東平地区で採掘された銅鉱石は端出場地区に集められ,下部鉄道を利用して運び出されました。
現在,端出場地区には第四通洞(銅鉱石や機械などを運搬したトンネル)や旧水力発電所(下の写真)などが残されています。
発電所は,1912(明治45)年に建設され,発電機はドイツ製でした。

 



【別子銅山記念館】
端出場地区から少し下ったところに別子銅山記念館があります。
記念館に隣接する大山積(おおやまづみ)神社の境内には,上部及び下部鉄道で使用された蒸気機関車や電気機関車が展示してあります。
下部鉄道は,端出場地区から新居浜港までを繋ぎ,貨車で運ばれた銅鉱石は港から船で沖合の四坂島に運ばれ精錬されました。

 



最初は,上部鉄道に導入されましたが,のち下部鉄道で1956(昭和31)年まで使用されました。

 

下部鉄道に1954(昭和29)年に導入された電気機関車ED104号。

東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)③

8月 27th, 2018 Permalink

“東洋のマチュピチュ”と呼ばれている,東平ゾーンの代表的遺構の貯鉱庫跡と索道基地跡です。 採掘された銅鉱石は貯鉱庫に一時的に貯蔵され,索道を使って端出場まで運ばれました。   【旧インクライン】 端出場から索道 […]

“東洋のマチュピチュ”と呼ばれている,東平ゾーンの代表的遺構の貯鉱庫跡索道基地跡です。
採掘された銅鉱石は貯鉱庫に一時的に貯蔵され,索道を使って端出場まで運ばれました。

 








【旧インクライン】
端出場から索道で東平に運ばれてきた生活物資は,インクライン(傾斜面に線路を敷設)を利用して荷揚げされました。
現在は220段の階段に代わっています(下の写真)。

 


蒜山三座&大山と星空

8月 26th, 2018 Permalink

満月前夜の月が昇っている中での星景写真にチャレンジ! 月明かりで蒜山三座や大山の稜線がくっきり写るのではないかということで1時間ほど撮影しました。 ただ稜線の上にずっと雲がかかっていたのが残念です。 左端の山が大山です。 […]

満月前夜の月が昇っている中での星景写真にチャレンジ!
月明かりで蒜山三座大山の稜線がくっきり写るのではないかということで1時間ほど撮影しました。
ただ稜線の上にずっと雲がかかっていたのが残念です。
左端の山が大山です。
北天を代表する北斗七星カシオペア座がのぼっています。

 

《撮影データ》
2018,8.25
X-E1+12mm F2→2.8 ISO800 WB:4500k 15秒×228コマの比較明コンポジット

 

東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)②

8月 23rd, 2018 Permalink

“東洋のマチュピチュ”(旧別子銅山の東平ゾーン)の第2回目です。 別子銅山は,江戸時代に山頂付近(標高1200m)から採掘が始まり,次第に山の中深く掘り進み,閉鉱(1973年)直前には海面下1000mまで達しました。 & […]

“東洋のマチュピチュ”(旧別子銅山の東平ゾーン)の第2回目です。
別子銅山は,江戸時代に山頂付近(標高1200m)から採掘が始まり,次第に山の中深く掘り進み,閉鉱(1973年)直前には海面下1000mまで達しました。

 


明治時代,採掘された銅鉱石は,上部鉱山鉄道(赤線)~索道(ロープウェイ)を使って端出場(マイントピア別子付近)まで運ばれました。
蒸気機関車は,松山の坊ちゃん列車の機関車と同型です。

 


索道に使われたブラケット。ロープにぶら下げ,銅鉱石を搬出した。