まもなく広島は66年目の8月6日を迎えます。
今年は特別の感慨で平和記念公園を訪れました。福島での原発事故による放射能汚染が拡大しているからです。
原発事故関連の新聞記事や本を読むにつけ,改めて放射線の恐ろしさを実感しました。
被爆者の「二度とヒバクシャをつくってほしくない」という願いを胸に刻み,原爆遺跡や碑をめぐりながら原爆・フクシマについて考えてみたいと思います。
平和公園及びその周辺の碑については,「平和記念公園・周辺ガイド」(平和記念資料館)をご覧下さい。
被爆した墓石(慈仙寺あとの墓石)
爆心地から200mm,爆風で吹き飛ばされた墓石(広島藩御年寄・岡本宮内のもの)
被爆当時の地面を残しています。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑
本川橋西詰めにあったものを,平和公園外にあるのは差別ではないかということから,
要望により1999年に平和公園内に移設。
約2万人の朝鮮半島出身者が原爆の犠牲となりました。
なぜ多くの朝鮮半島出身者が原爆の犠牲にならざるをえなかったのか考えさせられます。
慰霊碑のそばには韓国の国花であるムグンファ(ムクゲ)が植えられています。
原爆の子の像
佐々木禎子さんら原爆で犠牲となった多くの子どもたちの慰霊と,世界平和を呼びかけている。
佐々木禎子さんの同級生たちが全国に募金を呼びかけ,1958年に建立。
被爆アオギリ
爆心地から1.3kmの広島逓信局の中庭にあったものを,1973年平和公園内に移植。
原爆の熱線により幹の半分が焼けましたが,翌年芽吹き,希望と勇気を与えました。
先日7月12日に亡くなられた沼田鈴子さん(逓信局で被爆)は,このアオギリの前で被爆証言をされていました。
オノ・ヨーコさん,原爆死没者慰霊碑に献花
7月30日,第8回ヒロシマ賞の受賞のために来広,献花されたもの。
10月16日まで,広島市現代美術館で「オノ・ヨーコ展」が開催されます。
7月31日の朝日新聞に作品が紹介されていましたが,ミュージシャンと思っていましたが,芸術家だったんですね。