東洋のマチュピチュ(旧別子銅山・東平ゾーン)②

8月 23rd, 2018 Permalink

“東洋のマチュピチュ”(旧別子銅山の東平ゾーン)の第2回目です。 別子銅山は,江戸時代に山頂付近(標高1200 […]

“東洋のマチュピチュ”(旧別子銅山の東平ゾーン)の第2回目です。
別子銅山は,江戸時代に山頂付近(標高1200m)から採掘が始まり,次第に山の中深く掘り進み,閉鉱(1973年)直前には海面下1000mまで達しました。

 


明治時代,採掘された銅鉱石は,上部鉱山鉄道(赤線)~索道(ロープウェイ)を使って端出場(マイントピア別子付近)まで運ばれました。
蒸気機関車は,松山の坊ちゃん列車の機関車と同型です。

 


索道に使われたブラケット。ロープにぶら下げ,銅鉱石を搬出した。

Leave a Reply